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知っておきたい、
過去にあった京の大地震 

花折、西山、黄檗、
京都盆地には三つの活断層。

 「よもや京都に大地震はないだろう。都が長く続いたのも京都に天災が少ないから」──京都人も、京都を外から眺める人々も、こんなふうに勘ちがいしそうになっていた。一九九五年一月十七日、阪神淡路大震災が起こるまでは。
 天災は、ほんとうに忘れた頃にやってきた。阪神淡路大震災の恐怖に目覚めて調べてみると、京都には過去、幾度もの大地震があった。古くは平安時代、白河にあった法勝寺の幻の塔が滅びたのも、秀吉の伏見城が崩壊したのも、江戸時代に二条城から本丸が消えたのも、京都を襲った大地震が原因。以下に京の地震史をまとめてみた。
◎八二七(天長四) M(マグニチュード推定)6・8
舎屋多く潰れ、余震が翌年六月まであった。
◎八八七(仁和三) 津波
南海トラフ内側のM8級の巨大地震とみられる。五畿七道で津波による溺死者多数。京都は官舎民家倒壊あり、圧死者多数。
◎九三八(天慶元) M7
天慶の大地震。宮中の内膳司崩れ、堂塔・仏像も多く倒壊。
◎九七六(貞元元) M6・7以上
屋舎・諸仏寺の転倒多く、死者五十以上。
◎一〇九六(永長元) M8級
東海沖の巨大地震とみられる。大極殿小破、諸寺被害。東大寺の巨鐘落ちる。
◎一一八五(元暦二) M7・4
元暦の大地震。「洛中民家ことごとく倒壊」。とくに白河で被害大、法勝寺五重塔壊滅。死者多数。
◎一三一七(文保元) M6・5〜7
強震余震多く群発地震か。白河辺に被害。清水寺出火。
◎一三六一(正平十六) M8級
南海トラフ沿いの巨大地震と思われる。
◎一四九八(明応七) M8級
同じく南海トラフ沿い巨大地震とみられる。紀伊から房総に津波。
◎一五九六(慶長元) M7・5
慶長の大地震。伏見城大破。三条〜伏見間で被害大。死者多数。
◎一六六二(寛文二) M7・5
比良断層系または花折断層から発生か。滋賀・京都で倒壊・潰家、死者多数。江戸、長崎でも有感。
◎一八三〇(文政十三) M6・5
京都大地震。直下型で余震多い。二条城本丸大破、御所破損。とくに土蔵崩壊が著しい。地割れ、泥噴出。
◎一八五四(安政元) M7・3
木津川断層系から発生か。伊賀上野、奈良、大和郡山で被害が著しい。
◎一九九五(平成七) M7・2
記憶に新しい阪神淡路大震災。活断層の活動による直下型地震。京都でも地域により被害大。