「女心と秋の空」「男心と秋の空」は、
京都の天気を標準として生まれた
古来のお天気用語は、盆地の京都で言われてきたもの。
全国に通用するとは限らない?
金田一春彦さんの『ことばの歳時記』のなかで、「古来の有名なお天気に関する語句は、京都を標準として出来ているものが多いことが知られる」という一文に出会ったときは、まさに目からウロコだった。
その本のなかで金田一先生も例にあげておられるが、「女心と秋の空」「男心と秋の空」──秋の空は定めがないもの、というたとえは、どうもぴんとこない。「秋晴れ」「日本晴れ」といわれるように、日本の秋は一年中でいちばん晴天の続く季節のはずではなかったか。
その疑問への答が、京の都の空もようを標準としているから、である。なに、京都でも秋は好天続きだが、と思われるかもしれないが、ここでいう定めのない秋空は、晩秋の北山時雨のことをさすらしい。いまの暦でいえば、時雨は初冬の風物詩だが、旧暦でいえば十月が時雨の季節となる。
気象学からいえば、時雨は「京都を中心とする近畿地方内陸部の独特な現象」。午前中は晴れていたのに、午後になって北山の方向がにわかに暗くなったかと思うと、サーッとしぐれる。かと思うと日がさしてきて、やんだかと思えばまたサーッとくる。市街地では、紫明通を境界として、北山時雨が顕著に現れると思うのだが、いかがだろう。実際、烏丸通を車で北に向かい、紫明通に入ったとたん、空は晴れているのに路面が急に濡れていたりすることがある。また鴨川にかかる橋の上から北山に目をやると、煙る山並に鋭角的に日が射し込んで、キラキラと輝いているのもこの季節ならではである。
「春雨じゃ、濡れて行こう」も、金田一先生によると、京都発の気象用語となる。芝居では、月形半平太が京都・三条の宿を出るときにこういうのだが、これは「春雨が風流だから濡れて行こうと言ったのではなく、(京都の春雨のような)横から降り込んでくる霧雨のような雨ではしょせん傘をさしてもムダだから、傘なしで行こうといったものらしい」(同『ことばの歳時記』)。霧雨のような春雨は京都の特徴で、東京の春雨だとこうはいかず、傘がほしくなるのだそうだ。
かつて京都の人は、雲にまで名前をつけて呼んでいた。西北に出る雲を「丹波太郎」、東南を「奈良次郎」、西南を「和泉三郎」、東北を「近江小太郎」。それぞれの方角からやってくる雲を擬人化し、そのキャラクターにお天気を重ね合わせたのだろう。なかでも嫌われ者は「丹波太郎の雷おこし」。夏に西空、つまり愛宕山の方向に立ち上る雲は、雷をつれてやってくる。愛宕山におおいかぶさりそうな、丹波太郎のこわい顔が目に浮かぶが、これも盆地ならではの気象の知恵。いまではほとんど聞かれないのが、もったいないほどの知恵である。
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