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白状します

 このコラムの更新が遅れがちになってきました。次作の原稿書きに日夜(夜夜?)孤軍奮闘しております。大詰めになってくると、ついついこのようになってしまいます。前もそうでした。次は『京都の不思議3』? といろいろな方に聞かれるのですが、今度はちょっと方向を変えようと思います。「京都」と「ことば」の関係に絞った不思議というか。でもこれも、これまでの延長線上、気がついたら目の前にありました。
 先日、中学生時代の恩師から、突然お手紙をいただきました。なんだろうと思って開くと、30数年前に書かれた一枚のある古びた便せん。私が大人になったとき、渡そうと、先生はノートに貼って何十年も保管されていたのだそうです。それを送るといっても、私の住所もわからない。住所を探すことからはじめられて、ついに私の手元に到着したものでした。驚いてしまいました。恩師のこころ、子不知もいいところで、わたしはそんなこと、予想もしないまま何十年間を過ごしてきたのでありした。
 ほんとうに、いろいろなことがあります。わたしにとってはドラマでした。歳月を重ねるということは、こういうことになるのだと、師走にしみじみ。  

(2003年 12月12日記)


このホームページもまもなく1年

 前回、洛陽荘のことを書き、11月1日に地元京都の皆さまに洛陽荘のお披露目をして、洛陽荘は京都岡崎の地で、ちょっと変わった別荘のような宿、あるいはサロンとして幕を開けました。京都らしいくつろぎのあるこの空間が、これからどのように育っていくのか、楽しみにしたいと思います。
 そんなことで明け暮れているうちに、京都もすっかり肌寒くなってきました。つい先週まで、あんなに暖かかったのに。昨日は典型的な北山時雨。時雨が通り過ぎたあとのきょうは、それはそれは空気が澄み切って、抜けるような青空のもとに見事な秋の景色がひろがりました。烏丸丸太町の交差点を渡りながら、こういう光景を目にすると、仕事をしながらも季節を実感できるのが京都のいいところかなあ、などと思います。
 木々の色づきも、これからです。京都のまちがなんとなくざわつきはじめて、紅葉シーズンが近づいたことを知ります。紅葉の時期がやってきたら、このホームページも開設1年。早かったような、いや長かったような…。

(2003年 11月15日記)



洛陽荘のこと

 洛陽荘って、ご存知ですか。京都岡崎、平安神宮の東にあります。「法勝寺町」のバス停を北に入ったお屋敷街の一角。丸太町通からいえば、岡崎神社を南に下ル。長らく警察の保養所として知られていました。一般の人も利用できる保養所だったので、昭和三十年代、四十年代頃には、ここで結婚披露宴をされた方も多かったとか。
 その洛陽荘の主がこのたび代替わりし、ある民間教育機関の京都サロンとして運営されることになりました。建物にも、ずいぶん手が加えられました。洛陽荘はもともと、大正時代に建てられた子爵のお屋敷。菊の御紋入りの書院風大広間や、植治作ともいわれる庭園が伝えられています。その和風建築のよさを復元する形で、茶室や回遊式の庭園が新たにお目見えしました。書院のそばにお洒落な隠れ家的バーがあったり、茶室に隣り合わせて、団らんの掘りごたつがあったりします。何よりも心のくつろぎ最優先の、京都らしいサロンの誕生です。
 で、「洛陽荘の人々」というサロン誌を刊行しようということになり、わたしどもの事務所に依頼があったんです。先日9月24日、新しく生まれ変わった洛陽荘のオープニングにあわせて、創刊号ができあがりました。
 この洛陽荘を、これからどのように使っていただくか、具体的なところは現在検討中。いましばらくお待ちください。小冊子「洛陽荘の人々」ご希望の方は、下記のアドレスまでどうぞ。お送りいたします。

(2003年 9月28日記)


仲秋の京都、満月祭り

 旧暦8月15日は仲秋の名月。今年の名月はあいにくの曇り空でしたが、わたしは「京都、満月祭り」に行ってきました。ことしはまだまだ夏のような暑さで、おまけに湿度が高く、お月見といった風情が乏しいのですが、9・11の仲秋の名月は、米国ニューヨークの世界貿易センタービルが崩れ去ったあの悲劇から丸2年。偶然のように、仲秋の名月が9・11と重なったのでした。
 満月祭りは「9・11平和祈願・平安神宮薪能神事」と題されて、梅若六郎さんらによるお能が行われました。さいごに奉納された「INORI」という創作能は、梅若さんが昨年9月、ニューヨークのかの地で演じたもの。ことしは京都で仲秋の満月の夜に演じる、という趣向でした。
 平安神宮の観客席はお能を存分に鑑賞するには広すぎて、私はもっぱら満月が顔をのぞかせてくれるかどうかに気が向いていたのですが、そういう見方をしたおかげで、なかなか興奮しましたね。
 最初の演目「翁」の途中、東山の山裾を少し上がったあたりで、満月がおぼろなお顔で雲間からわずかに現れ、観客がおお、と固唾をのむ瞬間がありました。でも残念ながら、束の間でフェードアウト。台風の影響か、厚い雲が多いものの、でも雲の切れ目もないわけじゃない。さて次はいつ現れるか、となるわけですが、演目進み、さいごの「INORI」が佳境に入る頃、なんと再び満月が。「INORI」に合わせて、月が刻一刻変化するさまは、臨場感あるものでした。この「京都、満月祭り」、関西テレビが主催をおりて、続行が危ぶまれているとか。旧暦や月を見直す動きは、わたし賛成なんですけれども。

(2003年 9月12日記)


夏の逆襲

 涼しいだとか、もう秋だとか、書いたとたんに猛烈な残暑。前回のコラムを書いてより、後悔しきりの日々でした。残暑というより、ことし初めての本格的な暑さの到来。しばらくは「やっぱり夏は暑くならないと、自然界に異変をきたすから」などとヤセ我慢してたものの、こうも暑さが続くとまいってきます。勝手なもんですね。
 きょうは「祇園おこしやす」誌の取材で、祇園商店街振興組合三好理事長にご案内いただき、お茶屋「吉うた」のおかあさんをお訪ねしました。「吉うた」は昭和初年に作家・長田幹彦が滞留し『祇園小唄』を作詞したことで知られるお茶屋さん。「月はおぼろに東山〜」の、あの有名な唄です。昨年来、京都では『祇園小唄』と円山公園に建つ『祇園小唄』歌碑を見直そうという動きが高まっています。「吉うた」で長田幹彦直筆の作詞原稿や、当時ベストセラー作家であった彼の初版本の数々を前にしていると、お話は大正・昭和初期へタイムスリップしてどんどん飛躍。なんとも愉しい時間でした。
 ところで8月21日の夜、京都市が運営する四条京町家の月例催し「華木サロン」で、「京都の不思議裏ばなし」をお話しさせていただきました。春先にお話をいただいて「町家ですからエアコンがありません。8月のサロンはきっと一年中でいちばん過酷。覚悟のほどを」と聞かされていた日がやってきたわけです。お盆休み明けの平日の夜、冷暑から一転した猛暑のなかをわざわざお運びいただき、お話を聞いてくださった方々には心からお礼を申し上げます。それから、お相手をしてくださった京都リビング編集長の藤田さんにも感謝。

(2003年 8月29日記)



いちばん短い夏

 おお涼しい。お盆も終わり、秋の気分ひしひしです。ことしは蝉が、ことのほか鳴き急いでた理由がわかろうというもの。どうにも真夏の気分になれず、それでも夏の甲子園が始まって、わが母校・今治西高をひそかに応援してたのに一回しか校歌を聴けず。あれよあれよという間にお盆休みも過ぎて、もう秋を迎えたくなりました。
 きょう、おもしろい体験をしてきました。ある俳句の会の句会をリアルタイムで取材させていただいたのですが、俳人の皆さんというのはまさに『京都の不思議』派なんですね。句会の選評に耳を傾けているだけで、不思議ネタにしたくなるような話題が出てくる出てくる。それだけではない、とくに興味をもったのは、俳句の世界でも京都はやっぱり人気の地だそうです。そこで全国の方々が京都を素材に俳句を詠むわけですが、京都の俳人の皆さんは、外から見た京都ではない、京都在住ならではの着眼点を心がけておられるとのこと。やっぱりそうか、という思いでありました。
 きょうはたまたま俳句の世界でしたが、そのほかの世界でも、外から見る京都、内から見る京都、いろんな場所で、それらが交錯しているのだと思います。外から見る京都ではない、内から見る京都をもっともっと発掘したい、との思いを強めた一日でした。

(2003年 8月17日記)


蝉時雨

 暑い夏がやってきました。ことしは長い長い梅雨、ようやく明けたと思ったら、もう立秋が目の前です。なんか勘狂いますね。蝉も出番が相当待ち遠しかったと見えて、毎朝すさまじく鳴いています。短い夏を予感しているようでもあります。
 週末、仕事で高松のお寺に行って、耳をつんざくばかりの蝉の鳴き声に出会いました。ほんと、耳がどうにかなりそうなくらいにもの凄かった。でも、人間社会を上回るほどの蝉社会の大合唱のなかにいると、おお蝉社会もがんばってるなあと、とても気持ちよかったです。考えてみれば、われら人間社会がタジタジとなるほど、底抜けに爽快な生物社会の現場って、わたしたちの身近にふだん、そんなにあるものではありません。そのままそこに居続けたら、きっと耳奥がギンギンしてきそうな、でも蝉たちはそんなことおかまいなしに、われらが場所とばかりの大合唱。自然の摂理優先の、蝉社会の健全なる営みが気持ちよかったのかもしれません。蝉の鳴き声に耳がおかしくなってきたら、わたしが場所を移せばいいわけで、蝉の皆さん、どうか思い残すことなく鳴いてください、という気分でした。
 

(2003年 8月5日記)


無言詣りの日を過ぎて

 祇園祭のお神輿も、お旅所から八坂神社へと還っていきました。三基のお神輿がこのお旅所に入っている間、無言詣りが行われるわけで、お神輿がやってくる七月十七日の深夜から還幸祭前の七月二十三日の深夜まで、無言詣りはちょうど一週間続きます。
 わたしはこの習慣がなぜか好きで、『京都の不思議』の一作目にこのことを書きました。肝心の祇園花街では近年、こうしたしきたりもすたれてきて淋しいのですが、でも祇園紹介の本などを見ると、以前よりも無言詣りのことが取り上げられているようでもあります。このしきたりに惹かれるのはわたしだけではない? と少しはほっとしたりしています。
 無言詣りのどこがいいかといって、そこに漂うストイックな美学がいいのです。ストイックな美学というと、一歩間違えば自己満足的で、勝手にすれば〜、とわたしなど言いたくなるタイプの人間ですが、無言詣りはそこを間違ってないなあ、と思うのです。無言詣りでは、途中で人に話しかけられないように、知り合いの人の姿を見かけると四条通を向こうへ渡ったり、こっちへ渡ったりします。自らの行いです。駆け引きです。でも運でもあります。なんか、いいでしょう?
 つまり社会性や関係性を見失ってないというか、そこにヒジョーに洗練された大人のストイシズムを感じるわけです。祇園の祇園たるゆえんです。こころにアソビ(ブレーキのアソビ、ハンドルのアソビ、というあの遊びです)があるなあ、と唸ってしまいます。
 

(2003年 7月26日記)


『京都の不思議』出版と祇園祭で、そわそわ

 京都は祇園祭のまっただなか。ひと、ひと、ひとで埋まる四条通の書店にも、『京都の不思議』が並びはじめました。どの書店でも目立つ場所に平積みされていて、なんだか感激です。書店の皆さん、ありがとうございます。自分の本と書店で出会うというのは、恥ずかし嬉しというか、怖いというか、前作発売のときはなかなか書店に足が向かなかったのですが、きょう16日の宵山は、本にも登場する新選組パレードの行われる日。取材でお世話になった新選組同好会の皆さんの年に一度の晴れ姿をこの目で見ようと、パレード出発地点である壬生寺まで行ってきました。それで、祇園八坂神社までのパレードに乗じて、四条通の本屋さんをのぞくことができました。
 ところで、祇園祭宵山の新選組パレードというのは、京都の人も案外知らないのですが、なんと28年間も続いています。宵山に、なぜ新選組か。新選組が一躍名を成した池田屋事件(映画「蒲田行進曲」のあの階段落ちシーンの)が、祇園祭宵々山の夜に起こったからです。いまから139年前の宵々山も、昨晩同様にぎわっていたことでしょう。ひと、ひとで埋まる京の祇園祭には、そんな血塗られた事件も織り込まれています。それでも朝が来れば、豪華な山鉾が曳かれ、お囃子にのせて京のまちを巡行する。明朝動きだすたくさんの山鉾は、そんな歴史を間近で見て通過してきたのだと思えば、感慨もひとしおです。
 

(2003年 7月16日記)


やっと、やっと、『京都の不思議』ができました!

 すっかりご無沙汰で申し訳ありません。このご無沙汰の間、不思議の第2弾『京都の不思議』と格闘しておりました。ほんと、もう格闘技みたいなものです。『不思議』は祇園祭とともに。京都市内では、宵山の頃に書店に並ぶようです。ああ、やっと、ここまでたどり着きました。ほっ。
 このホームページの掲示板「不思議プロジェクト」をご覧になった方は、第2弾が進行していることをご存じかと思います。本当は早く言いたくてたまらなかったのですが、出版社が発表する前にここに掲載するわけにもいかず、そんなこんなでこのコラムを書きづらかったのです。でも出版社では、6月はじめにはなんと、書籍挟み込みの出版予告を出していたみたいで、なあんだ、となったのでした。
 スカイパーフェクTV「京都チャンネル」では、第1作の『京都の不思議』を動画エッセイにしてくれました。こちらは本とはまた違った味わいに仕上がっています。60分番組が何本か続くようで、この番組も7月中には始まるみたいです。
 というわけで、『京都の不思議』完成のご報告です。第2弾の装幀も、素敵ですよ。今回ももちろん装幀は加藤恒彦さん。ありがとうございました。 

(2003年 6月30日記)


「ほっこり」雑感

 京ことばの「ほっこり」が近ごろ、どうも変です。気になる、おかしいぞ、という声が、根っからの京都人からもあがりはじめています(本にも書きました。ご参照ください)。
 でも、そうした声と逆行するように、京都のガイドブックを開くと「ほっこりするお店特集」といった記事。そして街を歩くと「ほっこりや」というお店だとか、ほっこりアベニューだとか、ほっこりコーナーだとか。それから商品名なんかにも「ほっこり」が登場するほどになってきました。
「きょうは朝から忙しゅうて、ほっこりしたわ」
「長いこと歩いて、ほっこりした」
 おわかりでしょうか。ほっこりの意味を、京都の人は「疲れた、たいへん疲れた」といった意味で使ってきました。「ああしんど」といったニュアンスです。
「ほっこりするお店」「ほっこりする喫茶店」にわざわざ入る人がいるのだろうか?
と京都の人は思っています。
 いったいどういうわけで、こういうことになってきたのか。目下、京都の不思議のひとつです。

(2003年 4月19日記)


イラクの戦地を思いつつ

 イラクと米英軍の戦争が日に日に激化して、京都の不思議、なんていってる場合じゃない気がしてきました。先日、ある取材で、牛若丸でおなじみの洛北 ・鞍馬寺をお訪ねしたら、境内のあちこちにまだ雪も残るなか、こんな話をしてくださいました。
 先般、鞍馬山中にあるお寺の修繕小屋から失火、ボヤ騒ぎがありました。さいわい本殿やその他の施設への影響はなく、お寺の方々は胸をなで下ろしたのですが、鞍馬寺の火事といえば、終戦直前の昭和二十年四月。本殿を全焼した苦い苦い経験があります。その火事の前後から、太平洋戦争は激化を極め、日本の大都市は大空襲で焼き尽くされ、八月の終戦を迎えたのでした。
 だから鞍馬寺では、火事というと戦争の陰を思わずにはいられないのだとか。先般のボヤの際には、米英軍の攻撃開始が秒読みに入った頃だったので、この戦争がたいへんな展開にならなければいいが、とお寺の皆さんは不安を感じられたそうです。
 考えてみれば、幕末の京都はテロの横行する都でした。クーデターによる戦火で街中が焼け尽くされもしました。歴史は遠いようで、実はものすごく身近な気がしてきました。

(2003年 3月25日記)


3月の雪と桜のこと

 やっぱり降りました、京都に3月の雪。雪大文字の幸運ばかりか、美しい東山の雪化粧に出会えました。前回ここに書いてより、気候は桜守の佐野藤右衛門さんに教えていただいた通りに展開しています。こうして奈良のお水取りが満行を迎えれば、まもなく春。
 気になっていたことしの桜開花予想が、先日発表されました。それによると、昨年ほどではないけれど、ことしも開花は昨年に次いで早めとか。昨年は、3月中にほとんど咲いてしまって観光業者泣かせの春でした。でもその春に、桜守の佐野さんは講演や雑誌などで、こう言っておられました。
「桜は旧暦如月の満月に向かって咲くものや。旧暦如月の満月を新暦でいうと(昨年の場合)3月28日。桜はふだん通りに咲いてるだけで、べつに異常でもなんでもない」。
 実をいうと、先日佐野さんにお話を伺いに行ったのは、ここを確かめたかったからです。そして、なぜ今年の開花が気になるかというと、ことしの旧暦如月の満月は、新暦でいえば3月18日。昨年よりさらに早くなっています。
   願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月の頃
 西行が詠んだ如月の望月(満月)は、ことしまもなくやってきます。

(2003年 3月10日記)


この冬、雪大文字に出会えました?

 京都の雪景色は、なかなかいいものです。でもこの冬、朝にうっすらと白くなった日は2、3回ありましたが、雪だるまが作れるほどの積雪はまだありません。このままだと、雪大文字の季節もそろそろ終わりって? 
 いえいえ京都では、3月の雪が意外に多いのです。とくに東山に雪が降るのは、だいたい春先になってから。真冬の間、愛宕山は白くなっても、東山には雪が積もりにくいのだそうで、これは先日、インタビューでお会いした桜守の佐野藤右衛門さんに教えていただきました。
 京の街に雪が降り、東山がうっすら白くはなっても、積もるほどではない。その代わり、東山が真っ白になったら、春はもう、そこまで来ているのだそうです。というのは風向きのせいで、春の風は南東から北西に向かって吹く。そこに寒さの残っている低気圧が急激に発達したとき、東山に春の雪を降らせ、京の街を通過したのちは、雨に変わってしまうのだそうです。
 というわけで、今年の雪大文字の幸運は、まだまだ残っています。春の雪をひそかに楽しみにする今日この頃です。

(2003年 2月23日記)


『京都の不思議』が思いがけず評判を呼ぶ不思議

 本が出版されて2ヵ月。12月、1月と、ちょうどお正月をはさんでのこの2ヵ月間、『京都の不思議』は各書店で思いがけない健闘ぶりです。まあ京都市内に限っての話で、井の中の蛙ではあるのですが。毎日にはじまり朝日、京都、日経と、新聞各紙で記事にしていただき、スカイパーフェクTV『京都チャンネル』にも取り上げていただき、新聞は最後にその総集編のように、読売京都版に「京都本、いま人気」「専門コーナー設ける書店も」「謎、秘密、暴露受ける?」(1/28付)なんて記事が出ました。
 いやあ、この本に関しては「暴露」ものに入れてほしくないですね。本を読んでいただいていちばんうれしかったのは、京都人の、それも年配の方々から、面白いといっていただけたことでした。「身の丈サイズの京都情報」「自分がいま、ここに住んでる、実在感のある情報」とのお言葉も嬉しかった。
 出版界が不況になればなるほど、春と秋に繰り返される雑誌の京都特集と京都ガイド本の氾濫、TVから連日流れて食傷気味の京都紹介…。京都に暮らしていて、それらが取り上げる「京都」に少なからず違和感を覚えるのは、わたしだけではなかった、ということなのだと思っています。
 それから、出版社では本の在庫が底をついたのだそうです。底をつく前に何とかしてよ、なのですが、それくらい予想を超える出来事らしいです。何が不思議って、この本が評判を呼んだことがいちばんの不思議、と編集者にいわれる今日この頃です。

(2003年 2月1日記)



『京都の不思議』の本とサイトは○○関係!?

 「さて、この京都の不思議が世に出て、ここに書かれていることより、こっちのほうがもっと不思議、などといろんな不思議がまちで語られ、表出することを実は私は期待している。異論反論もおありだろう。解明が深まればなお嬉しい。本書の役目は口火を切ること。これからが『京都の不思議』のはじまりになればと願っている」──
 本のあとがきを、こんなふうに締めくくってより、これは何とかしなくっちゃ、ただ期待して、待って、願っていただけではお話にならないなと思った次第。
 で、『京都の不思議』サイトを開設してみることにしました。本とはちがった、新しい展開ができればと考えています。

(2002年 12月27日記)


2004年 1月20日記〜
2002年 12月27日記
2003年 12月12日記